「一刻千金」 わずかな時間が大変貴重であること。
わずか一刻が千金にも値するほど貴重な時間のこと。
中国の蘇軾(そしょく)の詩「春宵一刻値千金」が語源です。
時間を有限だと意識することから、行動が変わります。

曹洞宗の開祖、道元禅師は「志のある人間はいつか自分も必ず死ぬということを知っている。
それに引き換え、志のない人間は自分が必ず死ぬということを本当の意味で知らない」といったそうです。
仏教の修行をする際、「寿命は尽きる」これをきちんと理解して励むかどうかで成果が全く違うわけです。 
翻って我々も時間の有限さは理解しているし、志も持っているとは言いながら・・・では本当に、それが寿命とセットで理解しているかとなると、とたんにあやしくなりますよね。

映画大好きな私は、学生時代に黒澤明監督の「生きる」をはじめてみましたが、命の有限さを考えさせられる作品として、素晴らしいと思います。その後も何度か見ましたが、見るたびに心が熱くなります。
ご存知の方も多いと思いますが、簡単にストーリーをご紹介します。

(志村喬さんが演じる)渡辺勘治は53歳の市役所の市民課長、いつも書類の山に囲まれ、印を押すだけの毎日、  刺激も志もなく、市民から陳情があっても、他の課へたらい回し。いわゆる「お役所仕事」の典型人間。ある日、体調が優れないので検査を受ける、医者は心配ないと言うが、レントゲンには末期の胃がんが写されている。渡辺が出て行ったと思ったインターンの医者との会話から自分が余命4ヶ月と知り呆然とする。

それまでは感動もない、感激もしない、という平凡な生活で、感情の起伏も乏しい人生だった。しかし死の宣告を偶然聞いてショックで泣いた。自殺も試みるが、直前でその勇気もない。自分にますます落ち込む。では酒と女におぼれてみようかと過ごすが、やはりお店を出ると泣きたいほど切なくなる。そんなある日、主婦たちの陳情のことを思い出す。公園だ。やる気さえあれば、この場所を公園に出来るはずだと渡辺は思う。そうだ、俺が生きている間にここに公園を作るぞと決める。人生初の目標設定だった。

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 そのときから「一刻千金」になる、泣くのも遊ぶのもやめる。 公園つくりに必要な資料を作り、予算を申請すべく、関係各部署を精力的に回る。 部署を回り始めると、かつての自分のような担当者に冷たくあしらわれ、時にはばか呼ばわりもされる。そのとき渡辺に同行した若い職員は「課長、悔しくないですかあんなことを言われて」と憤る。
しかし渡辺は顔色一つ変えずに「さあ、次へ行こう、私には腹を立てている時間はないんだ」。
死の直前、公園が完成し、渡辺がブランコに乗って歌うシーン、ここが有名ですが♪いの~ち みじかし~ 恋せよおとめ~♪ 書いていても感極まりますね。

こうして、ライフワークを見つけた男の晩年は、見事な一刻千金ぶりだったと思います。

上記は黒澤明という名監督の作品ですが、同じ渡辺でも、渡部成俊さんをご存知ですか?

「余命1年半」を宣告されてから命の尊さを説くために、全国の学校を回り、「いのちの授業」をされた方です、亡くなるまでの2年間あまりで訪れた学校は79校です。 

亡くなった今は直接の講演は聞けませんが、「そんな軽い命なら私にください」というタイトルの本にはCDが付いていて学生生徒さんに伝えてメッセージが聞けます。本当にお薦めです。

ちなみに、この素晴らしい講演を聞いた各地の子どもたちから届いた感想文は2万通を超えたそうです。

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 (弊社発行 月刊まるやまVoice Vol.10 2011年4月号より抜粋)