これは、先日「カンブリア宮殿」に出演した、一澤信三郎氏の言葉です。
信三郎氏はご存知京都で100年以上続く、株式会社一澤信三郎帆布の社長です。
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京都の東山駅から徒歩5分の地にある本店、というか、ここ一店舗です。通販もnet販売もしない、拠点は増やさない。工房は隣の建物、社員さんも通勤30分以内。しかし、お客様は国内だけでなく、海外からも買いに訪れます。 |
京都の知恩院の近くにある、老舗の鞄屋さん。私も京都に行くたびに購入していますので、今では定番のトートバックだけでなく、ショルダーや小物まで沢山のものを愛用しています。
しかし、今までは製品には愛着がありましたが、「一澤帆布製」、「信三郎帆布」、そして「信三郎鞄」の3つのブランドがある理由については特に関心は無く、過去にお家騒動でもあったのかな~、程度にしか思っていませんでした。
今回TVでの特集を見て、お家騒動の顛末、信三郎社長の心意気、そして同社と同社の製品をこよなく愛するお客様の様子が良くわかり、改めて私もここちよい気分になりました。
もっともそれで話を終わりにするわけにはいかないので、マーケティング屋としての視点で、同社の強みを以下に解説いたします。
創業から事業拡大&ブランディング
1905年創業、現在の信三郎社長の曽祖父である喜兵衛氏が丈夫な帆布で道具袋を作ったのがスタートです。
その後、戦中・戦後、高度成長期を過ぎても、素材と用途は変わらず、堅実な商売を続けていました。
そして大学卒業後朝日新聞社に10年勤めていた、現社長の信三郎氏が父親から商売を継ぐように声がかかった時は、社員10名で、化学繊維の台頭で経営の危機に陥っていたときだったそうです。
氏は家業を立て直すために「道具袋からの脱却」が必要と考え、一般の人に使ってもらえる「カバン」を目指します。
そこでアイテムを増やし、カラーバリエーションも増やすことで、今まで全くなかった「女性客」というマーケットを作り出すことができました。
そして「女性客」からカジュアル製品へと商品展開し、経営のかじ取りをしながら20年で社員も70人と事業拡大をしてきました。
その真っ只中お家騒動が起こります。
お客様から愛される経営
お家騒動(遺言が2通出てきた事)ですが、最初の裁判では敗訴して、経営に関わっていなかった兄と弟に「一澤帆布」の経営権が渡った際、信三郎氏について行きたい社員が纏り、事業継続を誓います。
それを知った多くのお客様が資金提供をし、新しい「一澤信三郎帆布」を立ち上げます。
新店舗オープンの際は京都知恩院前の道路にお客様の行列ができ、それがメディアの注目も集め、新たなお客様も増えました。
その後、再度の裁判で勝訴し、現在は「一澤帆布」でのブランドも使えています。お客様に必要とされる企業には実はぶれない経営方針がありました。
ぶれない経営方針
① 働きやすい職場・・・店舗は一つ隣が工房なので、転勤もなし、残業もなし、子育て中は3時に退社
② デザイナーを置かない・・・お客様が必要なものを提供するにはお客様のご意見を直接伺う
③ ネット販売はしない・・・お客様に直接手渡しで売りたい、大量生産はしない
こんな経営方針が、「時代に遅れ続ける経営」と社長が言う理由です。しかし、そんな方針を聞きに、毎年アメリカのビジネススクールが学生を連れて京都を訪れます。 効率化、事業拡大、大量生産、海外進出、全て真逆の戦略が、MBAを目指す学生に、新たな気づきを与えているのでしょう。 |
(弊社発行 月刊まるやまVoice Vol.83 2018年5月号より抜粋)