潔い・媚びない・先見の明がある──
激動の時代に大局から思考し発信し続けた実業家・白洲次郎の生き様に迫ります。<後編>
カントリージェントルマンのライフスタイル

第二次世界大戦が始まる際には、その先見の明により東京は焼け野原になると予見、鶴川村(現在の東京都町田市)の古民家を買い取り改築しながら食料の生産に精を出しました。
武蔵と相模の国境にあり、「不愛想」の言葉に次郎独特のひねりを効かせて「武相荘」と命名したこの場所には、次郎・正子夫妻を慕って多くの文化人、政治家などの著名人が集ったといわれます。
田舎で農夫として暮らしながら、しっかりと中央(政権)に目を光らせる「カントリー・ジェントルマン」というライフスタイルを体現したのが、この武相荘での生活です。
仕事も趣味も妥協せず

1951年には東北電力会長として電源開発に尽力。
白洲は常に部下ひとりひとりの状況を把握しようと、気配りも欠かしませんでした。
自らランドローバーを運転し、長靴にヘルメット、サングラス姿で毎日ダムの建設現場へ出向き、作業員ひとりひとりの様子を小まめに見回り、作業員の慰労会が行われれば、ひとりずつお酌をして回る姿も見せていました。
そのほか、荒川水力電気会長、大沢商会会長、大洋漁業(現マルハニチロ)、日本テレビ、英国ウォーバーグ証券の役員や顧問を歴任しました。
生粋の「オイリー・ボーイ」として車を愛する道楽者でもあり、イギリス滞在中には ベントレー、ブガッティを所有し、週末はレースに熱中、80歳になるまでポルシェ911を乗り回していました。
もう一つの趣味はゴルフ。晩年は軽井沢ゴルフ倶楽部の運営に情熱を傾けました。
芝の手入れから、従業員の生活、会員の行儀にいたるまで、 ひとつもゆるがせにしませんでした。
会員でなければ、 総理大臣でも追い返す、SPをコースに入れるなどもってのほかという姿勢を崩しませんでした。
生涯を貫いた「プリンシプル」
直訳すると「原理原則」。
次郎にとっては「自分の軸となるもの」であり、さらに言えば、「何があっても絶対に譲れないもの」でもありました。
「ブレない人間は格好いい。そのためには自分の生き方の軸を持っていないといけない。」と語り、口癖のように
「プリンシプル、プリンシプル」と言っていました。
上辺だけの格好良さではなく、信念を持つ者が放つ「本当の格好良さ」。
60年前にこんな格好いい日本人がいたのかと驚かされます。
「プリンシプルを持って生きれば、人生に迷うことはない」自分の中にある軸を明確にして、自分らしくしなやかに生きていきたいものです。
