挙一明三(こいちみょうさん) Voice Vol.26

挙一明三」(こいちみょうさん)一を挙げて示せば、三を理解する。つまり、少しのことを知れば他のことまで知る、賢くて理解の速いことを言います。
中国の古典「十大弟子」の中に出てくる言葉です。

 

さて、「挙一明三。「一を聞いて十を知る」は殆どの人がご存知かと思いますが、挙一明は意外に知られていません。挙一明三は、孔子が10人の弟子の前で、生き方について下記のように説いたことが語源です。「馬には、四種類の馬がいるが、人間にも四種類の人がいる」。「四種類の馬とは、第一はムチを振り上げただけですぐにかけ出す馬、第二はムチが尻尾にふれただけでかけ出す馬、第三はムチでたたかれてかけ出す馬、第四はムチで思い切りたたかれてはじめてかけ出す馬である。」と。
「これと同様に人にも四種類ある。お前たちはこの中のどれに相当すると思うか」
「第一の人は、他の町に住んでいる人の老病死の話を聞いて、自分の老病死を自覚する人。第二は、近所に住んでいる人の老病死を見て、自分の老病死を自覚する人。第三は近親者の老病死の姿を見て、自分の老病死を自覚する人。第四は自分自身が老病死を迎えたときに、はじめてようやくそれを自覚する人である。」という話です。皆様は、この中のどれにあてはまると思いますか。
21世紀の情報化時代とは違って例えが少々古いですが、本質は今の時代も同じだと思います。
経営者であれば、当然第一の人だと思います。では皆様の会社の社員はいかがでしょうか?
一つの情報があれば、この情報は自分の仕事にどう係わってくるのか、そのためにはどのような行動を取れば良いのか。挙一明三できる人材が多ければ多いほど、会社は、そしてビジネスは伸びていくのだと思います。

幕末に有能な人材を輩出した、山口県は長州萩に行ってきました。萩という町は、日本海に面しているにも関わらず気候が温暖で、海の色も青く、のどかな風景でした。また萩焼は有名ですが、それ以上に、特産品となっているのが夏みかんで、夏みかんを使ったあらゆる食材が売られていました。本当にのんびりとした街です。
司馬遼太郎さんがおっしゃるように、なぜこのような温暖なところから、倒幕という思想が出たのか!?
歴史を学ぶと、徳川政権に冷や飯を食わされた毛利一族の長州藩だからというのが定説ですが、明倫館を始めとする藩学校での、教育にとても力を入れていてことが分かります。そして教育と言えば有名な松下村塾があります。

吉田松陰の門下生の中で、双璧と言われるのが高杉晋作と久坂玄瑞ですが、松陰をして「識の高杉、才の久坂」と言わしめ、「両人とも人の指図を受けるようなぼんやりではなく、高等の人物である」と最大級の評価をしています。まさに、挙一明三 この師弟関係があったからこそ、明治維新が始まったのだと思います。

さて、吉田松陰が塾頭を受け継いだ松下村塾で学んだ後年の人物としては、伊藤博文を筆頭に明治の重鎮を担うわけですが、初期のころのメンバーは、みな20代で命を落としています。吉田松陰29歳、高杉晋作27歳、久坂玄瑞24歳、吉田稔麿23歳、入江九一27歳。新しい日本を模索して燃え尽きた時代でした。
現在松下村塾は松陰神社の境内の中に再現されていますが、そもそも松陰神社とは、吉田家の小さな建物でしたが、伊藤博文ほか明治の重鎮が、長州の意思、松陰の意思を想い、公のものとして建立したものです。
歴史に「もしも」はありませんが、吉田松陰を始めとする若き才能が生きられる世の中であれば、伊藤博文等の立場は違っていたのだということを、みな理解していたのだと思います。
今回の挙一明三、時代は違えども、機を見て敏に動ける人材を育成するのは、トップとして大切なことだと思います。

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  松下村塾

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萩の街に入る入口にある吉田松陰と久坂玄瑞

 

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  高杉晋作の生家

 

(弊社発行 月刊まるやまVoice Vol.26  2012年10月号より抜粋)