「和羹塩梅(わこうあんばい)」主君を補佐して、国を適切に治める有能な宰相・大臣。
「和羹」はいろいろな材料・調味料を混ぜ合わせ、味を調和させて作った吸い物。
「塩梅」は塩と調味に用いる梅酢のこと。この料理は、塩と、酸味の梅酢とを程よく加えて味付けするものであることから、~上手に手を加えて、国をよいものに仕上げる宰相ら~のことを言います。出展は中国の古典『書経』です。
さて「和羹塩梅」。企業でいうところの社長の片腕、組織でいうと有能な部下でしょうか?
皆様の会社は如何ですか?「うちは大丈夫!」と、言い切れる方もいらっしゃると思いますが、「う~ん、そこが悩みなんだよ」 とおっしゃる方が多いのが現実ではないでしょうか。だとすると、どうすれば有能な部下や優秀な片腕が育つのでしょうか?自分で育てられなければ、他から来てもらえれば良いかもしれません。
しかし、冷静に考えてみると、頼りになる部下がいない、良い人材が育たないというのは、決して「他責」ではなく「自責」であり、つまるところ、自分にトップとしての魅力がないのでは、と、考えるべきだと思います。
天下取りに明け暮れた戦国時代、明治維新を成し遂げた幕末、それぞれに魅力的なリーダーがいたから、日本の歴史は動きました。戦後多くの民間企業にも魅力的なトップがいたから経済発展ができたのだと思います。
作家の司馬遼太郎氏は、戦国時代は織田信長がいたから、幕末は坂本龍馬がいたからと言っています。織田信長の魅力を一番わかっていたのは豊臣秀吉です、信長の暗殺を知り備中にいた秀吉は、天下が取れるからと京都に戻ったのではなく、主君の仇を打つという一心で、多くの家臣や他の大名が京都や近畿に居たにも関わらず、様子見をしていた時に、いち早く駆けつけたというのが当時としては最大の忠誠心だったと思います。このあたりの話は、経営の神様・松下幸之助さんが「正しさを貫く」という話の中で、何度も取り上げています。
さて、遅まきながら先日今年度の本屋大賞を受賞した、「海賊とよばれた男」を読みました。内容はご存知の通り、出光石油の創業者である出光左三氏の自伝的小説です。もちろん小説ですから、名前も変え若干の脚色はありますが、ほぼ史実に基づいた、ロマンあふれる素晴らしい人間の話です。敗戦から8年、日本の小さな会社がイギリス海軍と対峙するその背景とは・・・ 『-エリザベス女王の戴冠式ご出席のため、当時皇太子だった近状天皇陛下の渡米を控えた1953年の春、一人の日本人が世界を驚倒させました。世界有数の産油国であるイランは、当時の首相の下、1951年石油の国有化を決定。それまでイラン石油を支配してきたイギリスの石油メジャー「アングロ・イラニアン」社は国際司法裁判所に提訴するとともに、イギリスはイランの石油積出港アバダン沖に軍艦を派遣、強硬姿勢を強めます。イランは国際的に孤立し、経済封鎖で追い詰められていきます。1953年春、一触即発の両国の緊張が高まる中、神戸港から日本のタンカー「日章丸」が出航します。』後は・・・ぜひご覧ください |
↑上下巻で700ページですが、「一気呵成」に読めてしまいます。 |
そもそも左三氏、会社という形態を、みんなが働きやすい場所にしたいと、タイムカードなし、出勤簿なし、馘首なし、定年なし、という絶対的『人間尊重』の個人商店を貫き通しました。しかも、石油関連会社でありながら、経営者と従業員が日本人である以上、日本人のための会社として、西欧の巨大石油会社からの役員、銀行からの役員すら受け入れないという自社叩き上げの社員で構成されたプロ集団を作り上げた信念は、凄すぎると思います。
「環境問題」は重要ですが、それを破壊した経済成長を否定するような昨今の風潮がありますが、出光氏が巨大タンカーの竣工パーティーに15000人の中学生を招待するシーンがあり、「明日の日本を背負う少年少女たちに、日本人としての誇りと自信を持ち、未来に対して大きな夢を持ってもらいたい」と話します。本当にすばらしいですし、こんなリーダーになりたいと心から思いました。そして何度も胸が詰まるシーンがあります。とにかくお勧めです!
「和羹塩梅」 出光氏と仕事をした部下たちは、本当に充実した生き方をしていたのでしょうし、有能な部下として、社長を支えたことだと思います。振り返って我々も、再度自分に問いかけてみましょう。
「リーダーとして魅力的か」「リーダーとして正しい判断をしているか」「リーダーとして部下が一番だと考えているか」・・・前回ご紹介した「脩己以敬」と同じく部下を想い、お客様を想い、日々の行動の質を上げていきましょう。その姿勢が、結果として「和羹塩梅」、自分をささえてくれる人材が育ち、集まってきてくれるのではないかと思います。
(弊社発行 月刊まるやまVoice Vol.33 2013年6月号より抜粋)