ラーメン屋のオヤジが上場するまで

私丸山は、多くの皆様同様、情報収集のため本を読むのは当然として、セミナー等にも定期的に参加しています。人に会うのが好き、話をするのが好きなので、楽しい時間です。

2月24日に、株式会社ハイディ日高 代表取締役会長である神田 正氏の講演を聴いてきました。

首都圏(東京・埼玉・神奈川・千葉)にお住まいの方は、ターミナル駅周辺にある、熱烈中華食堂 日高屋」をご存知だと思います。同社は現在年商226億円 
店舗数270店の東証一部上場会社です。

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昨年私が読んだ本の中に 「ラーメンが教えてくれた人生」というのがあり、神田氏に大変興味を持ちました。
ご存知の方もいらっしゃるかとおもいますが、氏は戦後、父親が傷痍兵として復員し定職につけなかったことが要因で、当時としては少なくなかった中卒での就職を余儀なくされました。ただ、遊びたい盛りということもあり、23歳くらいまで30回以上の転職を繰り返し、人生にも仕事にも、希望が持てなかったそうです。
そんなときに、友人からラーメン屋を手伝ってくれないかということで、働いたのがこの業界に入ったきっかけだったそうです。職業を点々とする中では、パチプロとして生活した時期や、ゴルフのレッスンプロだった時期もあり・・・と
面白いので、波乱万丈の人生について興味のある方は、本を読んでみて下さい(左下の写真をご参照下さい)。

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さて、私が、今回の講演で確認したかったのは、大きな志などない、アルバイトでラーメン屋さんに就職した普通の青年がなぜ、上場企業のオーナーになったのか?というとことでした。

 

雇われ時代の氏は、当然のごとく時間で、働きお店を良くしようとも思わず、休みが欲しい、早く帰りたい、とうただの怠け者。その後店長になって少しは意欲も出たが、それでも雇われの身、早く帰りたい、休日は遊びたいと。そんなある日、経営者から、自分は体調が悪いので廃業すると言われ、転職を考えなきゃ、という矢先、家主から「あなたが替わりに経営してよ、資本金は貸すから」という申し出があり、じゃ、やるか、ということで、経営者になったそうです。

 

そこからは売り上げが上がれば、収入が増えるので、殆ど休まず、深夜営業までして、目指すは屋台(夜遅くまやっていて、お酒も飲める、)という今のコンセプトを作り上げ、販売面では、安定顧客獲得のため、浦和という地理を生かし、役所や警察署へ注文を受けに行き、お昼を届けるという、待ちの出前ではなく、攻めの営業をしたそうです。

ここまでなら、ただ売上の良いお店で終わったのでしょう。事実本人も、「世が世ならいまだにお店で長靴をはいてラーメンを作っていた」とおっしゃっていました。ではなぜ上場だったのか。
ここで登場するのが、当時商工会議所から紹介された税理士さん。彼は経営コンサルタントになりたくて、税理士の資格を取ったがまだ顧問先も少なく、神田氏に「会計の手伝いじゃなく、経営の手伝いをしたい」と申し出ます。

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しかし「ラーメン屋に経営コンサルは不要」と断っていたら、経営計画発表会をやりましょう、銀行に事業プランを出しましょう、など付きまとってきたので、しかたなく始めたら面白くなってきて、夢がふくらみ、100店の店舗を出すぞ、社員が沢山入る会社にするぞ・・・と180度考えが変わっていきます。当時のスタッフだったのは実の弟さんと、義理の弟さんのみで、その他はみなアルバイト。そんな状況ですから、みな「何を夢見たいなこといっているの、大丈夫か」とあきれられたとか。その中で、唯一応援してくれたのが母親だったそうです。その後も、コンサルになりたい税理士からつつかれ、経営計画発表会に、銀行関係者だけでなく、野菜や麺のなどの仕入先まで呼ぶようになり、みなの前で経営計画を発表した手前、やるしかなくなり、そのうち賛同者もついてきて・・・、結果大法螺が、ほんとうになった、と。

いかがでしょう。
神田氏の、「縁を大切にする」。家主から声をかけてもらえることもそうですが、税理士に対しても、何言ってるの、ではなく受容し、そして「まずやってみる」。ラーメン屋の経営しかり、経営計画発表会や事業プランの立案しかり。
そして、夢や方針が見つかったら、声を上げて、皆に知らせる。こうまとめるとシンプルですが、これが出来ている経営者が少ないことは、私のコンサル歴の中でも実感しています。

経営者の方には、ぜひ、恐れず新しい扉を開けて欲しいと思います。もちろん、トライプランニングが
しっかりとサポートいたします!!

(弊社発行 月刊まるやまVoice  2011年3月号より抜粋)