一意専心」他のことを考えずに一つのことだけに力を注ぐこと。
「意を一にし、心を専らにする」と訓読すると意味が良くわかります。
中国の古典、「管子」に出てくる言葉です。

 

さて、一意専心。2012年の夏はこの言葉を改めて確かめるイベントがあり、充実した夏でした。その一つは何と言っても「ロンドンオリンピック」。世界選手権、ワールドカップなど競技によっては、世界レベルでの大会も開かれていますが、四年に一度のオリンピックは、そのようなスポーツイベントではなく、26の競技、302種目が一斉に行われる意味でも、やはりスポーツの祭典だと思います。参加する選手は、それぞれの競技による予選や基準タイムをクリアした有資格者の集まりです。そして全ての参加選手が、この大会で最高のパフォーマンスを出すべく、日々のトレーニングを続けていることを考えると、本当に賞賛したいと思います。我々観客は選手を応援しその結果に一喜一憂をしているだけですが、選手のここに至るまでのことを考えると、まさに一意専心のはずです。4年間いやそれ以上の期間、オリンピックの当日にピークを合わすべく、日々の練習をし、その上で、当日のコンディションを整えなければなりません。さらに同じように目標を持って臨んでいるライバルたちもいるわけですから、本当に選手というのは、厳しい自己鍛錬の日々ではないかと思います。

私は、スポーツを見るのもするのも好きですが、スポーツの好き嫌いに関係なく、選手たちが、自身の舞台で結果を出そうと、プレイしている様子は、この日のために一意専心努力してきた結果ですから、その姿を見ているだけで、見るものに夢と感動を与えるのでしょうね。

また、夏の風物詩、全国高校野球選手権大会(甲子園)も毎年楽しみに観戦しています。
こちらは、高校の三年間という期間限定の戦いです。甲子園の舞台で練習の成果が、その瞬間に発揮できるか、大学やプロのリーグ戦と異なり勝ち抜き戦ですから、一回負けたら終わり。監督は来年もありますが、選手にとっては二度とない舞台ですよね。

ここからの、一意専心は選手ではなく指導者のことを考察したいと思います。 
プロでもアマチュアでも、選手と監督・コーチの信頼関係は大切ですが、結果を残せるケースと残せないケースの差と言うのは、どんなことなのか、特に高校野球という、短期間そして常に選手が入れ替わる環境で、毎年結果を出すのには、どんな理由があるの、とても興味があります。調べてみると、名指導者、名監督と言われる人も、始めから上手く行ったわけではなく、悩みながら、反発されながら、結果で評価されるという厳しい中で、それぞれの指導法というのを極めている様子がうかがえます。スカウティングから始まる学校の支援体制というのも、また合理的なトレーニング方法やデータの収集分析等々テクニカルな部分は勿論ありますが、それ以上に彼らに共通するのが、自分と生徒の意識の向上を促している点です。

 

つまり、指導の最大のポイントは、技術面よりも精神面を磨くように、しているということ。
なぜ、野球をやるのか、それにより何が自分に身につくのか、そしてどうすれば、人間として成長できるのか?一見野球の練習とは関係ないようですが、高いレベルの野球をしようと考えたときに、最後に差が出るのが、意識の部分だと。
 今年も地方大会を劇的な逆転勝ちで甲子園に出場した、福島県の聖光学院の斉藤監督は、野球部の部長時代に経営陣に監督を変えすぎると意見したところ、「それならお前がやれ、ただし三年以内に甲子園に行けなければクビ」という条件からスタートして、まさに一意専心取り組んだようです。結果2年目に出場し、その後常連校になっていくのですが、その時参考にしたのが、「安岡正篤人生を拓く」だったとか。他にも多くの名監督が、自分を見つめ直し、心を鍛えていく方法をまずは自分が突き詰め、その上でそれを生徒たちに還元する。という手法を取っています。

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まさに経営に通じるものだと思います。一意専心自分と社員の成長手法、会社経営に活かしていきたいと思います。

 

(弊社発行 月刊まるやまVoice Vol.24 2012年8月号より一部抜粋)